TFA HISTORY

1 月 27th, 2009
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Photo by Nosaka

【創世期 昭和42年~】
もともとTFAの始まりは、戸松先輩(42年入学)たちが始めました。
部落問題研究会の人たちで、当時流行ったフォークゲリラの影響もあり、音楽性よりメッセ-ジ色強い集団でした。
今は無き北門の古ぼけたサークル棟の空き室に勝手に入り込み居座りました。(公認のサークルではなかった)
名称は豊橋フオ-クソング愛好会でした(TFAと通称が成ったのは47年の小野氏たちが単に頭文字を取ってこう呼ぶようになったのが始まりです–Aは愛好会のAでAssociationのAと成ったのはもう少し後で頭の良い人が勝手に思い込んだのがそのまま続いています。)
私が入ったのは45年ですが、当時の活動は今とあまり変わりが無いのではと思います。新入生歓迎コンサート・追い出し・などもやっていました。
プロのコンサートは今より頻繁にやっていたと思います。高石ともや・ナターシャセブン・泉谷しげる・高田渡・武蔵野タンポポ団・加川良・ディランⅡ・五つの赤い風船・浅川マキ・友部マサトなんかを呼んでいます。つぼいのりお(44年名古屋校舎)も学園祭には来ています。
公会堂や文化会館・学生会館などで年2回くらいはやっていました。街頭でチケットは手売り・広告取りなど結構急がしかったと思います。
プロの前には、必ず前座で部員がやりました(私は高石ともやの前で、公会堂でやりました。)
井上君たちの代では吉田拓郎もやっています。吉田拓郎も出始めで名豊の屋上に来ていました。
出始めでも結構生意気でTFAでプリモのマイクを貸したのですが「安いやつだね」と、言われた事を覚えています。その時出演交渉をして、6ヵ月後に公会堂でコンサートをしたのですがその頃にはTVなどで大人気になっていて、公会堂は消防法に触れるくらい大勢の人が来てしまいました。(当局より呼び出し有り)

部員はアルバイトで喫茶店や、レストランなんかに歌いに行っていました。

1年に1回か2回、合宿があり牟呂のお寺・豊橋のお寺・長野県白馬・茶臼山なんかで3~4日やっていました。毎回大騒ぎで、次回からは出入り禁止と成る事が往々にして、有りました。

当時の演奏はアコースティックが主体でベースも木が多くカフタスナ(44金子他)がエレキベースを使い始めています。48年くらいから、軽音楽部からATCと言うグループが移籍をしてから(45大宮他)電気楽器も使うようになりました。

当時は学生運動が激しく、授業が無いので、毎日部室と・A-ONE(麻雀)の繰り返しでした

45@西尾氏 談  【転換期】へつづく

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